今でこそ働く人々にとってはあって当たり前の福利厚生ですが、今のような福利厚生制度がどのようにして形づくられてきたかご存知でしょうか?
日本の福利厚生は、時代の流れと共にその形や性質を変えてきました。
今回は、知識として知っておくと今後の福利厚生の導入を考える参考になるかもしれない日本の福利厚生の歴史について、時代背景などを踏まえながらお話ししたいと思います。
福利厚生の始まりは明治時代
国を強くするための労働力
江戸時代が終わり、明治時代に入ると日本でも西洋諸国に追いつけ追い越せの「富国強兵」のスローガンのもと、徴兵制度や殖産興業など様々な施策が展開されます。
特に、産業に関しては殖産興業により紡績工場や製鉄所などのたくさんの工場が建設され、日清戦争や日露戦争などによりさらに軍需産業も盛んになりました。
そうなると、国を豊かにし軍備品を用意するためにも多くの労働者が必要になるわけです。
福利厚生は「労働者の生活の面倒をみる」こと
たくさんの労働者が紡績工場や製鉄工場に集められましたが、賃金は低く、労働環境も過酷を極めたと言われ、逃げ出したり病気で働けなくなる労働者が続出しました。
困るのは経営者なので、なんとか労働力を確保するために「経営者が責任を持って労働者の生活の面倒を見る」という動きが見られるようになりました。
これが、日本における福利厚生のはじまりとされています。
経営者は労働者に衣食住を提供したり、病気や労働災害への対応や、慶弔金支払いなどもああったりとなかなか手厚い待遇を施します。
もちろん、これらは法律で定められているものではないため、労働者たちは「賃金は低いけれども、働いてさえいれば経営者のありがたい恩恵を受けて生きていくことができる!」と考え過酷な労働環境にも負けずに働いていたようです。
大正時代には福利厚生が徐々に制度化されるように
第一世界大戦で労働力がさらに必要に
大正時代に入りすぐに第一次世界大戦が勃発したことを契機に、日本の工業は急激に拡大していきます。
労働力もこれまで以上に安定して確保し続けなけれならない中、近代化に伴い福祉政策への意識が国民にも生まれ始め、労働者の中にもこれまでの経営者による恩恵だけでは不満を覚える人達が出てきました。
福利厚生が重要視されるように
第一次世界大戦後、日本は好景気になりましたが、それも一時的なものですぐに不景気に戻ってしまいます。
そうなると、戦時から戦後にかけて過酷な労働環境に耐えながら日本を支えてきた労働者から、ついに労働環境に対する不満の声が上がるようになり、徐々に労働運動へと広がって行きました。
ここで、今までの経験から労働力の確保が何よりも大切というのを知っている大手企業などは、いち早く「有給休暇」や「年金」「退職手当」などの賃金外手当、「昇進制度」「企業内職業訓練」などの今で言う法定外福利厚生のような制度を次々取り入れ、労働者の確保に乗り出します。
企業からも労働者からも福利厚生が重要視されるようになったことで、福利厚生が徐々に制度化されるようになりはじめたのです。
戦後〜バブル経済にかけての福利厚生
民主化によって国による福利厚生の制度化も
第二次世界大戦に敗戦した日本は、アメリカの指導のもとに民主化され復興に向けて励むのですが、民主化されたことによって働くことに対する労働者の意識が変わってきました。
これまで、不満はありながらも「国のため、戦争に勝つために働くのは当たり前」という受け身の考え方だったのが、「自分たちが働くことが日本の復興へと繋がるから働かなくては!」という自発的な考え方へと変化していきます。
そして、福利厚生に関しても「自分たちが働いて社会や経済を発展させることに対する報酬として受け取ることができる当たり前の権利」と考えるようになったのです。
国民の意識が変わることで、福利厚生をはじめとした労働に関する制度が整備され始めます。
社会保険料や雇用保険に関する「法定福利厚生」もこの頃に制定されました。
高度経済成長期からバブル経済の福利厚生はハコモノが主流
1950年頃から、日本は高度経済成長期に入り、1980年後半からはバブル経済へと突入し日本国民の生活は華やかになり、娯楽などの需要が一気に伸びます。
バブル景気により羽振りのよくなった企業は、労働環境をより良いものにするため、様々な設備投資や福利厚生の一環として豪華な社員住宅や保養施設などを作ります。
当時は、保養所などをたくさん持っている企業がよしとされる風潮があったので、大企業はもちろん、どの企業でも大きな施設の建設が相次ぎました。
これが福利厚生において「ハコモノ」と呼ばれる住宅や施設関連のサービスで、2017年にいたるまで福利厚生費の半分近くを占めるものとなっています。
バブル崩壊から現在までの福利厚生
バブル崩壊以降の福利厚生は削減傾向に
バブル経済も長くは続かずに1991年頃に崩壊し、そこから現在に至るまで日本の経済は低迷状態に入ります。
また、国が抱える問題でもある「少子高齢化社会」も進み、社会保障の負担も今後さらに増加すると予想されます。
このような時代の流れを受けて、企業の法定福利費の負担は年々増えており、福利厚生費の圧縮のために法定外福利費が削減傾向にあるのです。
特に、バブル時代に企業によって建てられた、保養施設や住宅施設などは維持費がかかるために手放す企業が増えています。
ヒトモノへの変化と福利厚生代理サービスの登場
このようにハコモノを維持できなくなったことに加え、労働者それぞれのライフスタイルが変化してきたこともあり、福利厚生は「ハコモノ」から「ヒトモノ」へと変化しました。
労働者自身のスキルアップや自己啓発のための福利厚生に力を入れる方針へと転換されたのです。
さらに、ユニークな福利厚生を導入することで、同業他社との差別化をはかったり、賃金以外の付加価値としてアピールしたりする大手企業が増えてきました。
限られた予算の中でも導入できる福利厚生代理サービスなども登場し、今もなお福利厚生の在り方は時代と共に変化しています。
まとめ
福利厚生の歴史をまとめると次のようになります。
明治
福利厚生が始まる。制度化はされておらず経営者が労働者に一方的に与える要素が強い。
大正
福利厚生が重要視され始める。企業によって様々な福利厚生の制度化が始まる。
昭和〜平成初期
国により福利厚生が制度化される。
高度経済成長やバブル経済の影響により、「ハコモノ」などが主流に。
平成初期〜現在
バブル崩壊から現在までの景気低迷により福利厚生は削減傾向にあり、福利厚生代行サービスなども登場。
景気の低迷状況や少子高齢化が続く現状を考えると、今後も福利厚生は削減傾向になることは間違いないと思われます。
どのような福利厚生が求められているのか、現在だけではなく今後のことも視野に入れながらどのような福利厚生を導入すればよいのか、企業側も労働者側も一丸となってしっかり考えることが大切です。
福利厚生の現状については「福利厚生の現状。中小企業が福利厚生を充実させる方法は?」で詳しくお話ししていますので、こちらもぜひご覧ください。